広島県福山市鞆の浦は、瀬戸内の中でも日本経済の中心を担う要港として発展した港町です。そんな鞆の浦の観光スポットといえば、坂本龍馬ゆかりの名所から仙酔島のような大自然まで、見どころは数知れず。
また、鞆の浦は映画やドラマのロケ地としても有名です。「鞆の浦Photoさんぽ」では、鞆の浦に数ある観光情報を余すところなくご紹介。
鞆の浦へ旅行に訪れたら、地図を片手に観光スポットをめぐるもよし、ロケ地で写真を撮って思い出にするもよし。やがて歩き疲れたら、温泉にでも浸かって心身を癒してはいかが?
鞆港西側の雁木の南端に立つ常夜燈(とうろどう=燈籠塔)は、何と言っても鞆の浦の1番のシンボルです。「安政六年己未七月」(1859年)に建造されました。
いろは丸事件」の際,坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所。 對潮楼は今から約330年前の1690年ごろ、真言宗の寺院・福禅寺の客殿として建てられました。 座敷からは,穏やかな瀬戸内海に仙酔島や弁天島がぽっかりと浮かぶ,鞆の浦の素晴らしい眺めを一望することができます。
江戸時代,對潮楼は朝鮮通信使のための迎賓館として使われ,日本の漢学者や書家らとの交流の場にもなっていました。1711年には、朝鮮通信使・李邦彦(イパンオン)がこの對潮楼からの眺望を「日東第一形勝」と称賛しました。これは,「日本で一番美しい景勝地」という意味です。多くの人々を魅了した,江戸時代から変わることのない美しい風景を眺めることができます。
仙酔島は広島県福山市鞆の浦の観光スポットで、瀬戸内海国立公園の中心に位置しています。仙酔島へは鞆の浦から船でおよそ5分。日帰りでも遊びに行きやすい距離にあります。美しい景色だけでなく、海水浴やバーベキューなどのレジャーも楽しめます。
1925年、仙酔島は「名勝 鞆公園」に、1934年には鞆の浦や仙酔島を含む瀬戸内海一帯が日本初の国立公園に指定され、「瀬戸内海国立公園」となりました。仙酔島は無人島でありながら、温泉や国民宿舎、旅館などの宿泊施設やレジャースポットがあり、シーズンには多くの観光客でにぎわいます。また、仙酔島にある「五色岩」に古代の神秘を感じる人も後を絶ちません。
この辺りの岩石は、流紋岩質凝灰岩の風化により、様々な色をおびたものを赤色岩といいますが、その特徴的な色は流紋岩質凝灰岩に含まれる褐鉄鉱の風化により、現れたものといわれています。
いろは丸事件1867年(慶応3年)4月23日、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と、紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突。 鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没した。この「いろは丸事件」発生によって、龍馬と紀州藩との談判は、鞆の浦で4日間行われたが決裂。その後、龍馬は万国公法に基づいて紀州藩から多額の賠償金をとることに成功。 このことにより、龍馬と海援隊の名は世間に知れ渡った。
魚屋萬蔵宅は龍馬たちの宿舎と紀州藩の宿舎の中間にあることから、談判の地に選ばれた。 現在は、江戸時代の町家のたたずまいを残した旅館になっている。 御舟宿いろは 龍馬ゆかりの町家を改修してできた旅館。 アニメ映画監督の宮崎駿さんのデザインが取り入れられており、カラフルなステンドグラスをはめ込むなど、宮崎監督のアイディアが随所に生かされている。
いろは丸事件の際、坂本龍馬と海援隊士が宿泊したのが龍馬の隠れ部屋。 桝屋清右衛門は事件の際に海援隊を支援し、宿舎として提供した。 龍馬は階段のない2階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危機もかえりみず談判にのぞんだ覚悟がしのばれる。 現在建物は、龍馬と鞆の関わりを紹介した展示やギャラリーとして活用されている。 龍馬の隠れ部屋は観覧が可能。
観光に訪れる前に、まずはここで鞆の浦への行き方をチェックしましょう。東京、大阪、広島など、全国主要都市から新幹線、飛行機、高速バスでJR福山駅へ。そこから鞆鉄バスに揺られて鞆の浦にイン!そのほか、尾道から鞆の浦へ船でアクセスできる季節限定「瀬戸内クルージング」もご案内します。
鞆の浦へはバスで行くのがおすすめです。 JR福山駅南口の福山駅前バス乗り場から運行している鞆鉄バスに乗って約30分。 料金は片道580円(鞆の浦)で下車時払い。鞆の浦に向かうバスはトモテツバスだけなので慎重に。 5番のりば「鞆の浦」行きか「鞆港」行きのどちらかに乗車。 「鞆の浦」行きなら終点で下車。 「鞆港」行きなら、終点「鞆港」か一つ前の「鞆の浦」で下車。 「鞆の浦」と「鞆港」のバス停間は徒歩5分程度なので、どちらで下車してもOKです。